去風流に集った人々挿花の手本

ごあいさつ

去風流は今から三百年前、元禄の頃(1700年頃)流祖「去風」によって始められました。当時は華美な技巧を凝らした挿花が世に栄えていましたが、去風はその中にあって、独り簡素な花形の中に自然を表現しようとしました。

そして、それが却って技巧の花に飽きた人々に喜ばれ、一つの流儀になって以来、二世去風、一峰、一風、一道、一葉、一草亭、一華、一泉とこの流儀を伝え、現代十世家元西川一橙に至っております。去風流では、古来より山野に育成する名花や珍木を探求して挿花に利用し、花器は家元好みのもので、名匠の手による磁器、土器、竹、籠、塗り物、唐金等を用います。又、特に活け花と花器との調和に重点を置いています。

時代が変わり、どんなに生活が近代化しても、活け花はやはり日本趣味の真髄であろうと思われます。今後もできる限り、去風流の伝統を後世に伝えて行きたいと願っております。

十世家元 西川一橙 

軸  鴨之図(山本梅逸画) 花器 時代藤組耳付籠 花材  額紫陽花照花
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京都市より残したい「京都を彩る建物や庭園」
として選定されたことについて

数年前、去風流のホームページを開設して、事あるごとに更新するつもりでしたが、事実なかなかその機会に恵まれず、ご心配をおかけしているのではないかと案じておりました。
そんな折、コロナウイルスが世界中に蔓延し花会を始め人々が集まる行事が禁止された事も一因でした。
この度、やっと明るい話題をご報告できる様になり安堵いたしております。
京都市には、京都市民が残したいと思う“京都を彩る建物や庭園”として選定すると言う決め事がありまして、いくつかの条件を満たすと選定され、今後その存在が長く認められると言う事です。
昨年末より調査が始まり条件を満たしていると判断され、令和三年度より正式に去風洞が「選定」され、「楯」と「プレート」を頂きました。(写真参照)
去風洞を長きに渡り維持して行くには厳しい問題が山積みですが、又、去風洞あっての「去風流の活花」である事を考えますと、去風洞の維持そして去風流の発展の為、尚一層もの事に真摯に取り組むべきと考えております。
何かご意見があれば参考にさせて頂きますので、よろしくお願い申し上げます。

令和四年六月一日

認定書

表札


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